神の鋳型はかくありなむ

159年前の1859年11月24日はかの有名なダーウィン先生が『On the Origin of Species』を出版した日である。進化論の記念碑ともいえるこの本の題の"Origin"が単数形であることからわかるように、この本が主張したのは(ざっくり言うと)種というものが神によって創られた不変なものではなく、時間とともに変化しうるものであり、それ故地球上に蔓延る生命はみな一つの起源に由来する(進化系統樹の概念)のではないかというものである。

 

ともあれ過ぎたる2018年の11月24日、進化を専門とする私は何をしていたかというと、敬虔なるクリスチャンとともに麻雀を打っていたのであった。思想は反すれど、今は同じ卓を囲う仲間。配られる牌に一喜一憂していると、事情を知らない後輩があろうことかこんなことを聞く。「そういえば馬さんって何の研究してるんすか?」

私はため息をつきそうになりながらこう答えた。「動物に潜む神の鋳型を探す研究をしている」のだと......。

 

ダーウィンが俗に言う進化論を世に出す前の時代は進化という考え方が全くなかったか?そんなことはない。種が変化するという概念はジャン=バティスト・ラマルクが1809年に『動物哲学』の中で提唱している。しかし、そんな時代の中で進化論がはいそうですかと受け入れられるわけがない。現にあのガリレオ・ガリレイはひどい目にあっている。数々の解剖学的知見を残した大英博物館自然史分館の初代支部長であったリチャード・オーウェンも、動物学の父と称されるジョルジュ・キュビエも、ダーウィンらと同じ時代にも関わらず生涯を通じて反進化論を貫いた。なぜか。私が思うにそれは「当時の生物学における観点ではどうでもよかった」のだろう。つまり、本質的ではなかったのである。

 

上に挙げたリチャード・オーウェンが考えたもので最も有名だと思われるのが「原動物」である。動物の中にはあるパターンがあり、そのパターンにパーツを埋め込まれたものが今を生きる動物だと主張したのである。例を挙げるならば、「前肢」という脊椎動物におけるパターンには、ヒトならば「手」、鳥類ならば「翼」、魚ならば「胸びれ」がパーツとして埋め込まれているのである。動物に潜む根源的なパターン、動物の形態のイデアとして立ち現れてくる動物の姿を、オーウェンは「原動物」と呼んだのである。イメージとしては神様が動物の鋳型(原動物)をもとにせっせと動物を想像しているところを思い浮かべてくれればよい。当時、動物の形態からどう分類、一般化するかを考えていた彼らにとって、進化論で保障されるような論点は原型論(原動物があるとするような考え方)でも十分保障されており、進化論と原型論の違いである「種の起源は一つであるかどうか」は動物の形態が似ているという観点からは決着がつけられない問題だったのである。今の時代だからこそ、ゲノムからの情報(DNAの二重らせん構造がフランクリンらのデータによって示されたのは1953年)をもとに”目に見えない類似点”を探れるようになったからこそ進化論は普及したが、それがなければどちらが正しいか私はわからなかっただろう。

 

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Ideal typical vertebra、つまり「脊椎骨のイデア」である。オーウェンはここに描いた脊椎骨から肋骨や骨盤、はては頭蓋骨まで説明できるとした。

ちなみにオーウェンは「脊椎骨」によって脊椎動物の頭から尻尾までを説明できるとした。確かに、我々の首を含めそこから下は脊椎骨(頸椎、胸椎、腰椎、仙椎、尾椎)を軸にして体が構成されているように見える。しかし頭は?頭蓋骨には脊椎に相当する部分があるのだろうか?オーウェンは「頭蓋骨も脊椎骨が変形したものだ」といった。かの有名なドイツの文豪であり、形態学にも通じていたゲーテもそういった。それが本当かどうかはあなたが勝手に考えてほしい。

 

ちなみにその日の麻雀は私の大勝利であった。神が私に微笑んでくれたのだろうか。実に皮肉なものである......。

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オタマジャクシの骨格。はたして頭蓋骨は椎骨の変形なのか......。



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カールスさん(1828)が書いた動物の原型。四肢まで原型に入ってます。すごいね。

 

 

参考文献:倉谷滋『分節幻想』、Richard Owen『On the Anatomy of Vertebrates』、etc(記事自体はわかりやすさ重視で書いているため、正確を多少欠いた表現もあります。問題点があれば私まで気軽にどうぞ)